序盤の ジョンスがヘミと偶然再会するシーンって、なんかいい。あんな偶然があったらいいのになぁ、と 思う...。
だが、同時にもうひとつの考えが浮かんだ。
…あれって本当に偶然?
この映画は主人公が男性なので、男性目線で捉えられることが多いだろう。だが、女性目線で妄想すると、ちょっと違った見かたになるかもしれない…。
ということで、ヘミの立場から本作の謎を考えてみることを思いついた。”あの再会が偶然じゃなかったとしたら” という仮定で、映画『バーニング 劇場版』を 考察してみたい。
念の為、最初にお伝えしておきますが、この考察は私の勝手な妄想です。解説でも正解でもありません。
イ・チャンドン『バーニング 劇場版』(2018) ✖️あみん「待つわ」(1982)

彼女は何故整形したのか
ヘミには虚言癖がある。
家族や職場の同僚に話していることも、信憑性に欠けるようだ。だが、全部が嘘なのではない。ところどころに真実も混じっている。
本当だと思うのは、幼い頃、ジョンスの近所に住んでいたこと、ジョンスに助けてもらったこと、ジョンスにブスって言われたこと、の3つだ。
ヘミはジョンスに助けてもらったとき、おそらく彼を好きになったんじゃないかと思う。だけど、好きな男子にブスって言われたらもう、立ち上がれない…。彼女は深く傷ついた。
大人になって、ヘミはちょくちょく街でジョンスを見かけるようになった。
どうすれば彼を見返すことができるのかを考えた時、パッと浮かんだのは”整形”することだった。整形してキレイになって、ジョンスを見返してやる…!
彼女の計画はこうして始まった。
待つわ
突然だが、何故か私の胸に引っかかっている昭和歌謡のひとつに、あみんの「待つわ」*1がある。
私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが
ふり向いてくれなくても
出典:待つわ/あみん 作詞・作曲:岡村孝子
フラれても、待ってたらチャンスがあるかもね…と、私は思っていた。
ヘミも待っていたのではないだろうか…。
「キレイになったね」と言ってもらえる日を。
ジョンスがいつも通る道を覚えたヘミは、彼に会えそうな場所で仕事をし、待ち伏せしながら自然に声をかけるチャンスを狙った。クジの当選も偶然なんかではなく、ヘミが裏工作したことだ。彼を飲みに誘ったのも、猫に餌をお願い…という理由で部屋に招き入れたのも、全てはヘミが事前に考えていた計画だった。
ジョンスは、いとも簡単に落ちた。
ベンはビジネスパートナー
彼女の住む部屋は、一見小さな部屋。
以前、私の友人(日本人)がソウルに留学していた時、住んでいる部屋を見せてもらったことがあるのだけど、ヘミの部屋よりはるかに狭かった…。そのことを考えると、あの部屋は、それほど安い物件ではないはずである。
趣味でパントマイムを習い、そこそこの部屋に住み、ペットがおり、整形もしている…借金もしていたようだけど、おそらくイベントのアルバイトだけでは捻出できないような生活費がかかっていたはずだ。お金の出所は不明だが、おそらくパトロンがいたのではないかと思われる。(もしかしたらベンなのかもしれない)
この辺りは自分でもはっきりしないのだけど、彼女はベンに恋愛相談もしていたのではないかと思う。「ジョンスに妬かせる作戦」で、ベンに協力依頼をしていたような気がする。
だが、ベンもただのお人好しな暇人ではない。ふたりの間には、おそらく何らかのビジネスが絡んでいる。ベンは言葉巧みにヘミをいい気分にさせつつ、何らかの形で収益を上げている。
井戸に落ちたヘミ
この作品で結構悩まされるのは、”井戸問題”だ。
ヘミ母&姉と、ジョンス母の記憶が異なるため、結局のところ 井戸があったのかどうかは不明である。(村長さんもなかったと言っていた)
色々考えてみたのだが、結局、井戸の有無はあまり重要ではないのかもしれない。井戸はともかく、「暗闇にいたヘミを助けてくれた人がいた」という事実が重要な気がする。そして、ジョンスがヘミを助けたのは、本当のことだったように思う。スクールカーストの底辺にいたヘミにとって、ジョンスは希望の光のような人だった。しかし、彼はそれを覚えていないのであった…。
暗闇(井戸)から抜け出すことができても、その後も続いた救いのない毎日に、ヘミはどうしても希望を見出すことができなかった。

わかってほしい
ヘミはジョンスとの再会を果たした日にアフリカに行く話をしている。
だが、本当にアフリカに行ったのだろうか。行ってない証拠もないが、行った証拠も特にない。思わせぶりな電話をかけていたが、あの電話も怪しい…。空港に迎えに来てもらうのは、ハイスペックな男性であるベンといちゃつくところを見せるのが目的で、ベンも嫌々ながら(?)協力している。
ジョンスは迎えに来るも、イヤな思いをする。
その後も、食事やお茶を共にする機会はあるが、ジョンスは毎回所在なさげだ。
だが、これもヘミの計算だった。
ヘミは、ジョンスを振り向かせたかったわけではないのだ。
おそらく、ジョンスが美人になびくかを試したかっただけで、つき合うつもりはない。相手の都合などお構いなしに連絡を入れ、何度か会うものの、いつもベンが一緒。ジョンスが不快になるよう、わざと企んでいるように見える。
助けてくれた人として、好きだったことはあったかもしれない。だけど、好意を寄せていた彼に「ブス」と言われたショックは、大きなトラウマとなってしまった。やがて、心の痛みは執念へと変化した。
小説を書いているジョンスは通常の男性より繊細な感覚を持っているはずなのに、ヘミの気持ちを考えたことがない、というのも悲し過ぎる。
誰も私の心
見ぬくことなどできないだけどあなたにだけは
わかってほしかった
傷つき、悲しみにくれた気持ちを あみん も歌っているように、ヘミも思ったはずだ。
あなたにだけは、わかってほしかった、と。
ヘミの心の傷が深かったのは、「好き」な想いが強かったから…。
ショックを受けつつ、彼を恨みつつ、でも大人になってからも、どこかで彼に助けを求めていたような気がする。
あなたがフラれる日
ヘミは計画を実行する前に、既に生きることへの執着を失っていた。
彼女にはおそらく、人生終わった、と思うような何かがあった。本当は、ジョンスに最悪な気持ちをわかってほしかった。そして気づいてほしかった、最悪の始まりはあなたの無神経な一言だったのだと。
でも、結局ジョンスは美人ってだけでヤるような男だし、何の成功実績も経済力もなく、ヘミのことを何も知らない(覚えていない)くせに、彼女ができたと思ってる…。可愛さ余って憎さ百倍。ジョンスにベンへの憎しみを覚えさせ、犯罪に手を染めさせるところまでは、ヘミの計算だったのではないだろうか。
あみんの「待つわ」が私の脳裏に流れたのは、実は、彼女が消えてからだった。
私待つわ いつまでも待つわ
他の誰かに
あなたがふられる日まで
彼女がわかってほしかったのは、フラれた私の気持ちだったのかと気づき、ハッとした。
人は自分の経験でしか学ばないという。彼女が待っていたのは「あなた(ジョンス)がフラれる日」だったのだ…。
整形して美貌を手に入れた彼女は、彼と幸せになることもできたはず。
だが、彼女は傷ついた心を癒すことができず、ジョンスを赦すことができなかった。そして、彼を傷つけることを選んだ。
へミの計画的犯行
ミステリアスなこの映画作品を、ヘミの復讐劇という側面から考えてみた。
幼少期からおそらくヘミは恵まれた環境ではなかったように思う。ジョンスには生きる希望を見せてもらったのに、残酷な一言でどん底に突き落とされ、トラウマに悩まされることに…。登場人物三人の謎行動は、傷ついたヘミの、計画的犯行だったのだ。
ヘミの計画以上に彼女を愛してしまったジョンスは、彼女との再会で人生を棒に振ることになる。彼女を妄想し、ストーカー的行為を繰り返しながら計画的な犯罪を企て、実行してしまうのだ。ヘミへの想いが強まる後半は、まるでヘミがジョンスに乗り移ったかのような怪しさが炸裂する…。
ビニールハウスを焼くのが趣味と言っていたベンだが、彼自身もビニールハウスのように簡単に焼き尽くされてしまうのは、何とも言えない皮肉である。ベンへの恨みがあったかどうかは不明だし、まさかここまで展開するとはヘミも思っていなかっただろう。だが、結果的に、彼女は自分の手を汚すことなく(命は落としていると思われるのだが★)、ジョンスへの復習を果たしている。
◇
あると思うのではなく ないことを忘れて、ヘミは生きてきた。
パントマイムのような動きができない者にとっては、興味深く、彼女は魅力的である。だが、実際には何も存在していない訳で、その虚しさ、やるせなさは、ヘミにしかわからない感情なのだ。
彼女に見えていたのは、意外と「現実」だったのかもしれない。
せつなさや辛さ、悲しみの混在する女心が恐ろしいとは、私は思わない。消えていなくなるのは人魚姫のようでもあり、それは彼女自身が決めたことだったと思うからである。
参考…………………………………………………
BURNING/2018/148分/韓国/監督:イ・チャンドン
受賞歴:
第71回(2018)カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞
第71回(2018)カンヌ国際映画祭バルカン賞
*1:待つわ/あみん 作詞・作曲:岡村孝子