小林英一さんの思い出
名前を呼ばれて振り返った。
そこには英一さんのかわいい笑顔。
「絶対ライヴに来いよ!」
私はちょっと笑って、小さく手を振った。
そして それが最期だった。
◇
小林英一さんと出合ったのは、
今から20年前のことである。
私が初めて
「ジャズ」という音楽に出会った年。
英一さんは当時
私がとても好きだったバンドの
ギタリストだった。
そのバンドは今思えば、若き才能のかたまり。
全員カッコよく、しかも天才。
まだ新宿ピットインが
紀伊国屋書店の裏手にあった頃で、
あの当時の歌舞伎町は
普通の女の子が一人で歩くのは
ちょっと怖いような時代でもあった。
そのライヴハウスは地下にあった。
「昼の部」とはいえども、薄暗く、
悪い世界に
道を踏み外してしまったのではないかと
不安に駆られるような場所にあった。
(大げさ?)
開始時間に間に合うように、
私はいつも走っていたけれど、
ほとんど始まってはいなかった。
客が入っていないからである。
10分、20分、待つことはザラだった。
それでも観客は5、6人。
多くても10人前後…。
私はこの溢れる才能を
独り占めしているような幸福感に包まれつつ、
どうしてみんなこの人達に気がつかないの?!
と熱い怒りを感じていた。
(勿論、数年後には気づかれてしまうが)
このバンドには、
私がとても憧れているミュージシャンがいた。
でも、私は彼が好きすぎて、
ほとんど話すことが出来なかった。
それで、周囲の人に話しかけ、
小ネタを提供してもらっていた。
そんな時、いつも優しく笑っていてくれたのが
英一さんだった。
◇
11月のあるライヴ当日。
「今日で解散するんだ。」
英一さんは困ったような顔で言った。
私は英一さんに激しく突っかかり、
理由を聞き出そうとした。
でも、そんな時、
絶対に仲間を悪く言わないのが彼だった。
メンバーと肩を組みながら
「俺たちだって解散したくないよな〜!」と
おちゃらける。
リーダーが決めたことだから、とうなづいて
それ以上何も言おうとしない。
その姿を見たら、
もうそれ以上突っ込めなくなってしまった。
私は急にしんみりして
「もう会えなくなりますね。」と言った。
ほとんどのメンバーが
このバンドだけでのつながりしかなかった。
英一さんははじめて表情を変えた。
「そんな淋しいこと言うなよ。
おまえが俺のライヴに来ればいいことだろ!!
俺は他のバンドでも出てるから。
これからもずっとやってくから。
絶対に来いよ!」
どんな立場や状況に立たされても
いつも笑っていた英一さんが初めて怒った。
でも、私はそれ以上口にしなかったけど、
きっともう会えないと思った。
時間もお金も自由にはならなかった私。
追いかけたいミュージシャンがいたから、
それ以上は無理だということは明らかだった。
そして「行けたら行く」というような
あいまいな約束をして気を持たせるのは
絶対に嫌なことだった。
お客さんがまだ少ない時代の彼らだからこそ、
嘘をつきたくなかったのだ。
はっきり「行く」と言おうとしない私を見て、
英一さんは怒った顔のまま、押し黙った。
解散ライヴ。
いつもカッコよかったけど、
この日のライヴは最高にアグレッシブだった。
知らないうちに涙が溢れていた。
でも、何故か泣いてる姿を
メンバーには見られたくなかった。
ライヴが終わると
英一さんはいつもの笑顔だった。
良かった、と思って帰ろうとしたその時、
名前を呼ばれて振り返った。
「絶対、ライヴに来いよ!」
あの時、うなづけば良かった。
どうして私は嘘をつけなかったのだろう。
◇
英一さんが亡くなったことは
某サークルの集まりで飲んでいる時、
一人のOBから偶然聞いた。
英一さんと先輩は
ギターつながりだった。
一瞬脳裏に浮かんだのは、
あの解散ライヴの帰りがけの出来事だった。
私は突然がくがくと震えだし、
どうしようどうしようと繰り返した。
その先輩は、
私と英一さんが知り合いであることを
知らなかったので、
その動揺ぶりを見て驚いていたようだった。
半分泣きながら、
英一さんのことをあれこれ話していると、
実は英一さんのことを
何も知らない自分に気づいた。
知っていたのはギター弾きであることと、
あのいつもの笑顔だけだった。
情けないことに
私は自分のことだけで精一杯だったのだ。
英一さんのことを知らない先輩も
その場にいたのだけど、私たちの話を聞き、
「703は英一さんのお葬式に
行った方がいいと思う。」と
おもむろに言った。
私は拒絶した。
友達ともファンとも違う関係であり、
関係者とも言いがたかったからだ。
「でも私は703のために
行くべきだと思う。
行かないと703がきっと
後悔することになると思う。」
先輩はあの時、
きっぱりとそう言ってくれていたのに。
私は我を押し通してしまった。
◇
英一さんのお葬式が行われているであろう頃、
私は桜の木の下にいた。
春とはいえまだ寒く、
ポケットに手を突っ込みながら
ゆっくりと桜並木を歩いた。ひとりで。
「エイプリルフールに葬式なんて
アイツらしいよな。
冗談だよ〜ん、なんて
笑いながらどっかから出てきそうだよなぁ…」
集まった人たちは
そんな風に無理に笑っていたと言う。
まったくもう、英一さんたら、
冗談ばっかり。
冗談ばっかりなんだから…
亡くなった時に知ったのだが、
英一さんには結婚間近の恋人がいたそうだ。
それを知ったとき、
挨拶をしておかなかったことを悔やんだ。
私は当時、
他のバンドのマネージャーをしていたが、
メンバーの“彼女”とは必ず
挨拶を交わしていたものだ。
こちらはメンバーとの仲を
疑われることのないよう、
自分の存在を認識してもらい、
“彼女”たちの方も、
まるでお母さんのような優しいまなざしで
「お手数かけます」とお辞儀をする。
あまり直接話すことはないのだが、
私たちの信頼は
この水面下の挨拶で成り立っていた。
このバンドではマネージャーではなかったが、
せめて挨拶をしていたら、
私はお葬式に行けたと思う。
でも、見知らぬ女が急に来て、
号泣していたら
“彼女”はどう思うだろうか。
私は泣かない自信はなかった。
ただでさえ恋人の急死で驚いているのに、
変な女が登場して混乱させるのだけは
やめたほうがいい、
そう思ったのだ。
あの時。
家族や恋人なら
おおっぴらに悲しみにくれることが出来るが、
ちょっとした知り合いだと、
立場は微妙である。
一人で抱えるつもりはなかったけれど、
結果的にはずっと後悔することになった。
ライヴに行かなかったこと。
お葬式に行き、
きちんとお別れしなかったこと・・・。
◇
今年も桜の季節が来た。
この季節に必ず聴きたくなるのは、
ビル・エヴァンスの
「You Must Believe In Spring 」だ。
美しいけれど、
悲しいメロディーの多いアルバムで、
何度聴いても切ない想いで涙ぐむ。
悲しいときには感情に逆らわず、
悲しむことで、
私は自分自身を慰めて来た。
英一さんになら、
「おセンチ野郎」と
笑われてもいい。
英一さん。
英一さんを思い出すとき、
浮かんでくるのは
いつもの笑顔なんだよね。
怒ってないよね?
もう会えなくなる、
なんて言ってごめんね。
ライヴ、行けなくてごめんね。
でも、いつかまた
ライヴがあるような気がするのは
どうしてなんだろう。
私、あの頃のメンバーのこと、
今でも遠くから応援してるんだ。
笑えるでしょ?
英一さんのことも当然、覚えてる。
また会いたいって思ってくれて
ありがとう。
英一さんもずっと覚えていてね。
もうかなり痛んでしまった
古いカセットをかけてみる。
「最後の曲になります。“ワイルド・ターキー”」
ゆっくりと曲が流れる。
私の中では みんながまだ、あの頃のまま。
私の中では みんながまだ、あの頃のまま。