シークレット・サンシャイン

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深夜のとあるオーディション番組を見ていて、
ひっくり返りそうになったことがある。

その番組では歌い出しの前に
本人のコメントを読み上げる
ナレーションが入るのだが、
そのとき、こんな感じのコメントが
読み上げられたからだ。

「私が歌手になったら 
世界の恵まれない子どもたちを救ったり、
貧しい国に学校を建てて
みんなに感謝される人になりたいです。」


20歳前後の若い女性だった。
私は驚きのあまり、しばし言葉を失った。
そもそも
音楽をやる目的が根本的に違っている。

デビュー=成功と思っているらしいところも
おめでたい。


国際協力がしたいなら 
JICAなどの活動に取り組んでみるとか、
まず気になる国について調べたり 
語学を学んでみてはどうだろうか。

歌手になりたいのなら、
まず、歌唱力を磨くべきである。

彼女の場合、案の定、歌も下手だった。
どうしてこういう子が育ってしまうのだろう。
日本の未来が心配である。


しかし。
「そりゃ違うだろ!」と
ズバリ言える大人はどれだけいるのだろうか。
もちろん子どもたちだけがおかしいのではない。

人間にとって最も嬉しく、
心地よいのは人に認められ、
賞賛されることだと思う。

何故、そんなに褒められたいのか。
それは想像するに、
日常生活に愛や思いやりが
足りないからだろう。
満たされていない人のなんと多いことか。

褒められたい、良いことをしたい、
良い人になりたい、偉いと思われたい…
その思いから生まれるのが「偽善」である。


ちょっと思い浮かべるだけでも、色々ある。
エコはがき、MY箸、緑の羽根(共同募金)、
24時間テレビ …などなど。

すばらしい実践をしている人は
おそらくこれ見よがしにやったり、
人に自分の価値観を押し付けるようなことは
言わないはずである。


いいことをしている自分に酔っている人たちの
暴走は止められない。

素晴らしい実践をしている人もいるけれど、
そういう人に便乗するだけで 
自分の考えを持とうともせず、
いいことをした気になっているだけの人が
多いような気がするのは私だけだろうか?

そういう偽善的活動があるかと思えば、
建前だけが立派な制度も色々ある。


男性の育児支援制度、
ノー残業(誰も守ってない!)、
セクハラ対策委員
(相談員の人格が問題な場合、意味ない)
…などなど。
何のための建前なのさ。
世の中、全く変わってないぞ。


でも、「地球に優しい」とか
「困った人を助けてあげよう」とか
「優しい心」とかは非難しにくい。
駄目だとか、無理とか、
やめろとか言えないのである。


私だって、面と向かっては言えない…。


そんな優柔不断な大人たちを見て、
子どもはすくすく育ち、
とてつもない希望を平気で口にして
褒められようとしている…。
たいした努力もしないで。

それがわかってても 
前向きな意見には
ダメだとか無理だとか言いにくい。
私もできたらいいね、ぐらいの
あいまい表現しか使えない。


…なんてこった。


それにしてもそういう人に限って、
日常の生活をないがしろにしているような気がする。

褒められるようないいことを
背伸びしてやらなくてもいいから、
公共トイレをきれいに使うとか、
家族にも挨拶するとか、
もっと基本的なことをちゃんとやっていこうよ。

道や順番をゆずってもらったら
「ありがとう」と言うとか、
靴を揃えて脱ぐとか、
ゴミが落ちてたら拾うとか。

やりたいことがあるならもっと腕を磨くとか。
MY箸の先をペーパーナフキンでふきまくり、
大量のゴミを出し、
「私、エコに協力してるんだ」と
満足する前に。
エコ以前にやることあるでしょうが。
もうちょっと地道にやっていこうよ、
地道に…。


褒められることはなくても、
当たり前の暮らしをていねいに、
満足して生きることが大切だと
私は思うんだけどなぁ。


私は紙も割り箸もガソリンも
必要であれば使っていいと思う。
タバコだって吸っていいと思う。

満たされて生きられる人は幸いである。


愛で心が満たされる人生があるなら、
その人生は最高に幸せである。

『シークレット・サンシャイン』は実に多くの要素を含む映画である。


人は立ち直ることができるのか?
偽善
犯罪と被害者
聖職者のモラル
宗教
(私はあれが新興宗教だとは思わない。
結構普通では?)
支えるだけの愛
精神的に不安定になった家族を持つ人の心境
赦し
…など     
  
                              
深い映画である。


これは決して楽しくてわくわくするような、
面白くて笑いが止まらないような映画ではない。
むしろ、逆である。
でも、酸いも甘いも経験した大人には是非観て、
いろいろなシーンに思いをはせ、
考えてほしい作品だ。


半年前、この作品を観てから、
私はずっと
「偽善」と「許し」について考えてきた。

だが、残念ながら、
考えがいっこうにまとまらなかったので、
この映画を観て考えたことや 
思いついたことを書いてみた。

「じゃあ、どうしたらいいの?」
という結論は
この映画の結末にも描かれていない。

実に残念である。(消化不良)
でも、それは
監督にも何かを言い切ることが
できないからなのだと思う。

ひとりひとりが苦しい人生を見つめ、
真剣に向き合うしかない、
それぞれ、考えることが重要なのだと思う。


何らかの答えを求めて
このブログを読む人もいるかと思うけれど、
私もあなたと同じように悩んでいるのです。

人生に安易な「答え」は
ないのではないでしょうか?



追記:
映画を観た方なら、
この文章が主人公の女性に無関係でないと
気づいていただけることと思います。

自分の生き方を棚にあげて、
自分の身に起きた不幸を嘆く姿が
ものすごく痛々しいのです。

だからといって 
「もとはといえば自分のせいだろ!」とも
言い切れない…。
何故、自分だけがこんな目に?と思うとき、
おそらく誰もが
自分を客観的に見ることはできないはず…。

非難めいた文章を書いてしまいましたが、
彼女が嫌いとか馬鹿だと
思っているわけではありません。

むしろ、彼女の心の動きに深く感情移入し、
同情し、一緒に泣きました。


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