私たちの幸せな時間 再考

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父よ、あの人達を許してあげて下さい。

何故ならあの人達は
自分が何をしているのか
わかっていないからです。
  
  処刑された三十三歳の死刑囚 イエス・キリスト



この本の冒頭に記されている言葉を読んだ時、
正直私はピンとこなかった。
しかし、読後に もう一度目にしたとき、
とめどなく涙が流れた。本書の内容に加えて 
この本を「蓮池薫さん」が訳された、ということに
胸を熱くしたからである。


どれだけの痛み、苦しみを超えて
蓮池さんが「許し」と向かい合ってきたか、
また、その思いを超えて
この本の翻訳を手がけたということに
深く深く尊敬の念を覚える。


映画を観たときも思ったのだけど、
私のものごとの捉え方が
この作品のユジョン(自殺を繰り返す元歌手)と
少し似ているような気がした。


「どうして太陽は私を中心に回ってくれないの?
どうしてみんなは
私が孤独なときに限って傍にいてくれないの?
どうして私の憎んでいる連中は
すべてがうまくいってるの?
どうしてこの世は
私の神経を逆なですることばかりで 
幸せをもたらしてくれるものはひとつもないの?」


この作品はそんな彼女が伯母(修道女)によって
死刑囚と出会い、変わっていく物語である。

私も偽善者が嫌いだ。


「私はあいつが人間のクズだから
当然殺してもかまわないと思っていても、
あいつを刺し殺せばそれは殺人になり、
殺人をした私を殺人犯として処刑すれば、
それが正義ということになる。
人間が人間を殺すことに変わりはないのに
一方は殺人になり、もう一方は刑の執行と呼ばれる。
一方は 殺人犯としてその罪で死に、
一方はその手柄で昇進する…
それが果たして正義なの?」


私もこの世の不条理に納得いかないことが山ほどある。


そして“私は偽善者が嫌いではない”
と言っていたはずの伯母さんでさえ 
最後には弱々しくこう言う。


「祈ってあげなさい。
死刑囚のためでもなく 罪人のためでもなく
自分には罪がないと思っている人たちのために、
自分は正しいと思っている人たちのために、
自分は何でも知っているから
大丈夫だと思っている人たちのために…(略)」


ユジュンはユンス(実際は殺人を犯していないが、死刑囚)の死後も、
クリスチャンにはなっていない。
映画はユンスが亡くなるところで終わっているが、
小説ではそれから7年後のユジュンの姿が描かれていた。

ユンスが死んだあと、
どんな風に生きるんだろうと心配していた私にとって、
この部分はうれしいサプライズであった。


「愛とはその人のために耐えることであり、
愛すれば、時には自分を変えてしまうほども
勇気が生まれるということ…(略)」


それを悟るまでに成長していたユジョン。
それでも彼女は
“神は一度も私の祈りをきいてくれなかったし、
今日もまた、そうに違いない”と思っている。

おそらく教会にも通わず、母親との心の交流はないままだろう。
このユジョンの姿は
「許し」の難しさをリアルに物語っているように思える。


本書の後書きで、蓮池さんは
「この小説を訳すあいだ、
とても幸せな時間に浸ることができた」
と語っているが、本当なのだろうか。

おそらく彼は私の理解を超えた境地にいらっしゃるに違いない。
彼の素晴しい翻訳にも、拍手を贈りたい。