眩しい日に

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最近、「泣ける」という表現が
感動のバロメーターになっている気がしていて
嫌だなぁと思うことがある。


安易過ぎる。


だから、観たい映画を
どうしても日程の都合等で選ばざるを得ない時以外は 
極力映画のあらすじやレビューを
読まないようにしている。
「泣けます!」とふれ込みのある作品を観て泣くのは、私はくやしい。


泣きに行く人もいるみたいだけど、
そんな感覚ぐらい自分で感じろよ!と
茨城のり子的に突っ込みたい。

誰かの感覚ではなく、あくまでも自分がとう思うか、
感じるか…という感覚を大事にしたいため、
私はこの記録を続けている。


この映画を観て、泣いていた方も結構いたので
あんまり辛辣な物言いもどうかと思うけれど、
あえて言わせてもらえば「泣ける映画」を作ったんだな…
という感じである。

内容や出演者(演技)には何の問題もないのだが、
ストーリーの組み立て方に失敗しているように思う。
それも、終盤に「感動」を求めるあまりに。


ずっと本当の子かどうかわからない、
先生の意図がつかめない、
という もやもやの中で最後まで観なくてはならず…

種明かしをされた後でも

だったらもっと早く言えばいいのにとか、
どうして子どもが父親ばかりに固執して
母親の話には全く触れなかったかとか、
目の手術代は誰が払ったのかなど…

設定の不自然さを色々と感じてしまい、
私の場合はストーリーに入り込めなかった。


映画にはもちろん感動を求めている。
けれども、繰り返すようだが
押しつけられるような道徳観には興ざめする。


誰もが「かわいそうだ」とか「よかったね」と思うことを
あえて作品にするなら、
それなりのメッセージ性や必要性を感じられる作品にしてほしい。


この作品にはパク・シニャンのナチュラルな表情や
子役の可愛らしさがあふれていて、
役者たちの魅力がとても感じられただけに、
もったいない感じがした。

〈第20回TIFF コリアンシネマウィーク上映作品〉